BET NOA
ノアの箱船の船底の化石
(1959年の発見及び専門家による長年の調査を受け、1977年にトルコ政府によって正式に発表された
その歴史的化石と大発見の写真)
ヘブライ語「ノアの家」の意。
(院長阿南巌とその協力者が開始した世界規模活動)
2024年7月4日
第2 国の未来
人間の尊厳を再び価値観として据えることを公約した岸田政権の主導のもと、先月、国会で「こども性暴力防止法」が成立した。
だが、子どもに対する性犯罪を問題視することに関して、国民は二分されている。
純粋に子どもを思う大人は、そのような行為がいかに重大な犯罪であるか、いかに子どもの健全な成長を妨げるか、そして、いかに子どもの尊厳を踏みつけるものであるかを知っている。
そして、加害者らも、これを知っている。
しかし、その破壊を知りながら、加害犯らは子どもに対する性犯罪を続けている。
つまり、それらは故意犯である。
故意犯の代表的な特徴は、後悔をしない、開き直る、逆上する、より多くを道連れにしようとする、などである。
そしてこれは、その犯罪に関する枠に限定される特徴ではない。
これは、故意犯の生活上の言動や進み全体に浸透する特徴となる。
そして、違法、不正であることを知りながらそれを犯すだけでなく、開き直りや逆上までもが伴う場合、その犯人の背後にカルト組織の存在があることを意識しなければならない。
理想や表向きの特徴が何であれカルト組織の一つの特徴は、リーダーが会員を性的に悪用することが常であること、及び、正当化されていることである。このため、その有毒ガスを吸う会員らもまた、己なりに下級会員や社会の弱者に対して同様の不正を働くようになる。
さらに、カルト組織はリーダーが繰り返す犯罪を自覚しているため、組織は他の加害犯をすぐに擁護するのである。そしてこれが、犯罪者が社会に野放しとなっていることの一大要因である。
このように、わが日本社会からカルト組織が未だ抹消されていないことにより、国民は毎日、有形無形に被害を受けている。
また、自らの行いが不正であることを自覚しながらそれを続けることは、良心の酸欠状態を招き、その状態がつづくと、やがて麻痺する。
したがって、この社会は、子どもを思う国民とその対極の国民に二分されている。
この社会現状のなか、近年、子どもに対する性犯罪が急激に増している。そして、その多くは、子どもが安心して勉学に励むべき学校や放課後クラブ等で発生している。
そこで、2024年6月に「子どもに接する仕事に就く人に性犯罪歴がないかを事業者が確認する制度」と言われる日本版DBSを導入するための「こども性暴力防止法」が成立したわけだが、この社会問題を早期に解決するための肝心な内容は、なぜか、あくまでも付帯決議の枠にとどまり、法に盛り込まれることが無かったため、今後、法的効力を帯びることもない。
成立したこの法律が網羅するのは、学校や保育所などの限られた事業者である。かつ、実際の始動は2026年である。自らが雇う人材の過去の性犯罪歴の有無を確認する義務を負うようになるそれらの事業者は今後、その事実の有無を子ども家庭庁に確認することになり、同庁が法務省に照会することにより、回答を得る仕組みとなっている。
その結果、学校等に勤務することができなくなる人材が今後急激に増えるわけだが、家庭教師を束ねる組織や塾といった個人事業主等は対象に含まれていない。これらに関する文言は、法には盛り込まれず、あくまでも検討を求める意味合いの付帯決議として可決されたのみなのである。このため、子どもたちの将来を破壊するこの深刻な社会問題は、次の具体的な展開からも分かるように、このままでは、悪化の一途をたどると言わざるを得ない。
メディアの報じ方にも大きな問題がある。これまで法律名ではなく、ほとんど「日本版DBS」としか表現してこなかったメディア各社は、外国から輸入された内容がこの法の中心であると報じているため、結局は押し付けられたもの、日本社会に合わないもの、という印象を作り上げつつ、同時に、抜け穴の多い法であるとの指摘をも報じている。
つまり、このような手法により、メディアは、国民がこの問題全体に関して消極的になることを招いているだけでなく、狙っていることが明らかである。
そして、繰り返しになるが、メディアはカルト組織と密に連携している。
このため、子どもに対する性犯罪を社会から根絶することにメディアは基本的に反対なのである。
上記制度の2026年始動(予定)により、学校現場等に残ることができなくなる人材(故意犯)が学校や保育所等以外の「子どもと接する場所」、すなわち、個人事業主が運営する塾や放課後クラブ等に流れ着くことが目に見えている。
そして、己の不正と犯罪を反省後悔していない既述の故意犯らが、比較的多人数の目がある学校現場よりも圧倒的に小規模の施設に集中するようになると、子どもが学び過ごす環境は、無論、これまで以上に劣悪になる。
さらに、学校等を追われたそのような性加害犯は、それまでの教育現場等での頻度を必ず上回る形で子どもを悪用するようになる。そして、犯人らの逆上の特徴を意識する時、その悪用が、具体的な性加害だけでなく、言葉の暴力や体罰等の複合的な悪用になること、すなわち、子どもに対する威圧と攻撃性が著しく増すことが分かる。これは、心理学的に明らかである。
そして、故意犯が同類を庇うことをも重大な事実として具体的に想像するとき、そのような環境が子どもに、とりわけその精神に致命的であることが鮮明に見えてくる。
つまり、今、この日本版DBSの始動により、学校を始めとする特定の施設での子どもに対する性加害が減ることが期待されているが、社会全体を対象に判断する時、子どもに対する性加害は増えると言わざるを得ない。
そしてこれが、何としても止めなければならない子どもの自殺までをも招くことは言うまでもない。
現に、起きている。
学校で中学生に対する性犯罪を複数回犯した犯人は追放されたが、今、同じ地域で塾の講師として再び子どもの前に突っ立っている。さらに、その者に関する内容が報じられた時、テレビは医者の話を非常に計画的かつ悪質に盛り込んだ。医者は、次のような内容を吐いた。すなわち、「性加害をする人は、ある種の依存症にかかっているため、社会全体でその人達を助ける、支える必要がある」と。
つまり、多大な被害を受け、その傷を背負っていかなければならない子どもたちを助けるどころか、カルトに属す者どもは白衣やメディアを使い、犯人を慰めるようにと社会に要求するほどになっている。
したがって、当学院は早い解決策を、ここに発表する。
そして、政治力を持つようになった暁には、2週間の周知期間を設け、この解決策を実行する。
まことに、子どもに対する性犯罪は、重罪である。
そして、子どもの健全な成長と将来を奪う権利は、誰にもない。
よって、性加害の犯人らは、去勢されるべきである。
実に、十手の堅さを受けるその日より、それらは生涯、己の不正を悔やむこととなる。